ぶどうの家

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大相撲・朝青龍危なかったが7連勝!

      2023/07/10


今週の日曜日から始まりました、大相撲。
色んな問題がありました。
今日は、朝青龍が危なかったが7連勝です。
白鵬は危なげなく7連勝でした。
明日は、勝ち越しの決まる一番ですね。
ご高齢者の方は、日本の国技である大相撲を
好きな方がとても多いですね。
大相撲の歴史について少し調べてみました。

【相撲の歴史】

〓神話の時代〓
 
日本相撲の歴史は古く、「古事記」の中で、建御名方神(たけみなかたのかみ)と
建御雷神(たけみかづちのかみ)が、出雲の国をかけた力くらべをして、
建御雷神が勝ったという記述が起源とされています。
 また「日本書紀」によると、第十一代垂仁(すいにん)天皇の御前で
野見宿弥(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)が
日本一を争ったと、記されている結果は野見宿弥の勝ちで肋骨を蹴り折り、
さらに腰の骨を折って絶命させました。当時の相撲は正に命をかけた男の闘いでありました。

〓天覧相撲〓
 時代が進むと相撲はいつしか闘いよりも豊作を願い
神に奉納する神事としてや、余興としてとられるようになっていきました。
「日本書紀」によると紀元前642年、皇極(こうぎょく)天皇が
百済の使者をもてなす為に宮廷の健児(こんでん・兵士)
を召集して相撲をとらせたとあります。

〓上覧相撲〓
 戦国時代になると、戦国大名は武術としての相撲を奨励するようになり、
織田信長も毎年大勢の相撲人(すまいびと)を集めては
上覧相撲をとり行いました。
また、信長が勝者宮居眼右衛門(しょうしゃみやいげんえもん)に与えた弓が
弓取り式の始まりと伝えられています。
この頃、力士は四股名を持つようになり、「行司」も登場しました。
相撲が武術として大きく発達した時代であり、
力士が武士(もののふ)である由縁もまたここにあります。

〓歓進相撲〓
 江戸時代になると、寺社の建立や修復の為の寄付を集める為に
庶民的な相撲が行われるようになりました。
 この頃の土俵は、人方屋と呼ばれ、見物人が輪を作ってそのなかで
取り組みが行われた、「寄り」や「押し出し」はなかったが
相手を倒す他に、人垣の中に押し倒したりしても勝ちとなりました。
その為、人垣からケガ人がでたり、喧嘩が絶えなかったです。
そこで相撲浪人で組織された株仲間が興行主の取り締まりを強化して、
土俵の改良を行う事になりました。
 この株仲間が年寄り株制度原型であります。
改良された土俵は人垣の変わりに俵を埋めたもので、四隅には柱が立てられ、
櫓が組まれました。決まり手も48手が成文化され、いよいよスポーツとしての相撲が始まりました。

〓大相撲〓
 江戸時代後期に入り、今の日本相撲協曾の前身にあたる江戸時代相撲会所が
整備され、相撲年寄りと相撲部屋も次々と誕生しました。
昭和になると、土俵の危険な4本柱も撤廃され、戦前のラジオ中継に続き
戦後のテレビ中継、平成になって世界に向けて衛星中継も始まりました。
近年、相撲は国民的な娯楽になり、近代スポーツとしての確固たる地位を獲得しました。

          (保留虎(ぽるこ)の部屋より 抜粋

 相撲の歴史は古いのですね。
日本の国技を守っていくためにも
力士の皆様頑張って下さい。

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